文字は、「肉体的」「頭脳的」の両方の鍛錬により上手くなる
先日の講習会の講義中に、先生がふと仰った言葉です。
今回は、この言葉に意味について詳しく解説したいと思います。
- 「肉体的」鍛錬とは、反復練習のこと
- 「頭脳的」鍛錬とは、考えること
- 多くの人は、考えて書いていない
- 考えていない人は、途中で伸び悩む
- 最初は「頭脳的」鍛錬の方が大切
文字は、「肉体的」「頭脳的」両方の鍛錬により上手くなる
冒頭でも、お伝えしたこの言葉は、私の心に深く刺さりました。
この「肉体的」「頭脳的」鍛錬という言葉について具体的に解説していきます。
「肉体的」鍛錬とは、反復練習のこと
ボールペン字講座を申し込むと色々な教材が届きます。
日々の学習は、この教材の1つであるテキストの見本を見ながら、実際に自分でも文字を書くこと基本となります。
この毎日の反復練習がすなわち、肉体的鍛錬です。
これは、何もボールペン字講座学習に限ったことじゃないですよね。
サッカーでも野球でも、上手くなるためには、毎日の反復練習が必要です。
学生時代に部活に入っていた人なら、簡単にわかりますよね。
勉強でも、何度も同じ問題を解くことで、記憶が定着したと思います。
ボールペン字講座の学習も同じです。
何度も同じ字を書くことで、美文字を体に覚えさせていきます。
「頭脳的」鍛錬とは、考えること
字が上手くなるには先程の反復練習だけではだめで、もう1つ、「頭脳的鍛錬が必要である」と言われました。
つまり、「考えろ」ということです。
もしかすると、「?」がつく人がいるかもしれません。
「綺麗な文字を書くのに考える必要があるのか?」
「見本を真似をすればいいだけじゃないのか?}
しかし、この「見本のマネをする」というのが実は曲者で、なかなか同じような字が書けないのです。
実際にボールペン字学習をしていると、どうしても見本通りに書けなくて、
「何か見本違うけど、一体どこが違うんだろう?」
ということが頻繁にあるんです。
今、自分の目の前に見本があるのに、見本と自分の字と何が違うのかわからないのです。
この「なぜなんだろう」「どうすれば同じ様に書けるんだろう」と考える行為がまさに「頭脳的」鍛錬となるのです。
なんてことを日々考えるのです。
他にも、「線の濃淡」や「はねの方向」で悩んだりもします。
「ペンの持ち方が悪いのか」「ペン運びか」「書く速度なのか」「それとも姿勢なのか」など考え出すときりがなかったりします。
突き詰めると、考えることって、見本の字を見ながら「その字を実際に書いている人の姿をイメージする作業なのかも」と思うのです。
最後に先生はこんなことも仰っていました。
また、文字を書かなくても、しっかりと考えているだけでも上手くなりますよ。
まとめ:ボールペン字学習は「一筆入魂」で書こう
結局は、日々の学習の際に、「気を抜かずに1文字ずつ常に考えながら書きましょう、そして、それを毎日欠かさず継続しましょう。」ということです。
1文字書いてみる→見本と違う→なぜ違うのか考える→その理由がわかる→次はそこを意識して書く→見本と違う→・・
このようなトライ・アンド・エラーを繰り返すことが大切だということですね。
今後、は、「一球入魂」ならぬ「一筆入魂」を常に意識し、日々の学習をしていきたいと改めて思いました。